まずは身近な、雨に濡れるというリスクを考えてみよう。あなたは天気予報から「明日の降水確率は30%」という情報を得て行動する。これは、一日の時間の30%に雨が降るという意味でもなく、地域の30%に雨が降るという意味でもない。その日と条件が同じような日のうち、30%で雨が降るという意味である。したがって、明日は雨が降らない可能性が高い、というふうに解釈することができる。
自分にわからないことは専門家に意見を求めればいいという考えもあるかもしれないが、専門家のなかには、リスクについて理解できず、リスクについて伝えることのできない者も多くいる。自分の健康や財産を守りながら生き抜くには、知る勇気を持ち、自分の頭で考えることが必要だ。
リスクはすべて既知で計算可能というわけではない。HIV検査や、指紋認証の結果が絶対だと考えることは、確実性の幻想にとらわれているといえる。また、リスクは計算できるはずだと考えて金融予想のようなものを信じることもまた、確実性に惑わされている。物事の不確実性を直視することが、リスク賢者になる第一歩だ。
そのためには、既知のリスクと未知のリスクの違いを知る必要がある。「既知のリスク」とは、選択肢、結果、確率がすべてわかっている世界を指す。たとえば、人間の手で設計された、サイコロゲームやスロットマシン、前述の降水確率のような頻度から計算されたものを含む。「未知のリスク」――不確実性とは、誰と結婚したらいいか、 誰を信頼すべきか、といった、計算で最善の答えを導くことの難しい世界を指している。「未知のリスク」の世界は「既知のリスク」の世界よりも広大に、私たちの周りに広がっている。
「既知のリスク」で最善の判断を下すには、論理的かつ統計的な思考が必要になる。「未知のリスク」が存在する場合、判断のためには直観と経験則が必要とされる。たいていの場合には一見相反する両者の思考を組み合わせて判断することになる。
リスク回避志向は、間違いを犯すことに対する不安と結びついている。罰せられることを怖れたり、責任逃れのために意思決定をしなかったりするのは、あからさまな保身的意思決定である。また、同様に説明責任の恐れから、最適な選択肢Aを選ばず、自己保身のためにAより劣った選択肢Bを選ぶということもある。
また、人間は、物事に対する不安や恐怖を、「社会的模倣」と「生物学的準備性」というプロセスから身につけている。「社会的模倣」とは、生きのびるための情報を自分の属する社会集団から学ぶという方法で、人は自分の属する社会集団が恐れるものを恐れやすいという傾向がある。また、「生物学的準備性」とは、遺伝的に「準備」された要素に社会的入力が加わると、危険なものを認識するという方法だ。子どもがクモやヘビ、暗やみなどを恐れるのはこのためだと考えられている。こうして身につけた恐怖により、人間はあるものにはリスクをとり、あるものに対してはリスクを回避するという行動をとることになる。
リスクや不確実性への不安や恐怖を追い払うためには、内的コントロールが鍵になるという。自分がこうしたいという内的目標に目を向けることが、良い判断をすることを助けてくれる。
投資の世界は、おおむね不確実な世界だ。だから、既知のリスクの世界を対象として構築された金融理論をまるきり信じることは、確実性の幻を信じることと同義になってしまう。
3,400冊以上の要約が楽しめる