ユダヤ教の最も重要な教義は「質問」することである。天才物理学者ミチオ・カクは6歳の時から先生の教えや聖書の記述ひとつに「それってどういうこと?」と疑問を持ち、質問を投げかけていたという。「なぜ?」という疑問がすべての思考の着火点である。
しかし、日本の学校や家庭は、子どもの疑問を引き出すような環境とはいえない。子どものどんなに突拍子もない質問にも「それは面白い質問だね」と耳を傾け、一緒に考えられるかどうかが、子どもの思考力の育成のカギを握っている。
「水はなぜ透明なのか?」と尋ねられたときに、「水とはそういうものだ」と議論をシャットアウトするのは、まさに思考停止である。思考停止は組織の硬直化や停滞を招く。
思考停止を脱却する方法は、自分を取り巻くあらゆる事柄、特に社会的に対立する問題点を議論の対象にすることだ。例えば、「イスラム教はそもそも平和な宗教か」、「ノーベル賞が少ないから中国人は日本人より劣る民族か」といったテーマである。社会的に公に議論しづらいことを議論する理由は、多数意見と少数意見が明確に分離し、議論が白熱しやすく、思考が働くからである。
Googleの創業者ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリンやFacebookのマーク・ザッカーバーグのように、画期的なアイデアを実現してビジネスで成功する人がユダヤから多く輩出されるのは、何事にも疑問を抱き問いかける姿勢と、それによって生まれる議論好きの態度にある。
また、常識や世論、業界の慣例、権威による発言など、疑いなく受け入れたり同調したりしがちな事柄にこそ疑いの目を向けるべきだ。鵜呑みにすれば、新たな気づきや発見が得られないばかりか、認識や解釈の間違いにも気づけなくなってしまう。マスコミでの報道や世の中の多数意見に対しては、自分で調べ、検証するのを怠らないようにしよう。
ユダヤ人は、論点を見つけ出すのがうまい。話すときも単刀直入で、主旨が明確である。この論点主義は、子どもの頃からの教育や習慣によるところが大きい。ユダヤ人は、常に論点を意識しながらヘブライ聖書を読む習慣がしみついている。15歳になると宗教学校でヘブライ聖書と、その注釈論点集である「タルムード」を勉強する。
例えば、聖書の冒頭にある「At the first God made the heaven and the earth.」の「At the first」が意味する「始めに」とは何の最初なのかという問いについて、生徒が1対1で1日議論することも珍しくない。「At the first」が意味するところをさまざまな角度から議論することで、自分が誕生した意味に迫ろうとしているのだ。聖書の読み方で特筆すべきなのは、さまざまな角度からの疑問を投げかけながら、一言一句に時間をかけて読み進めている点だ。
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