縁もゆかりもなかったヤクルトから、野村氏が突如監督就任要請を受けたのは、評論家としての生活が九年を過ぎようとしていた一九八九年の秋だった。
当時のヤクルトは、万年Bクラスと言っても過言ではないチーム。考えていたチーム強化法も一朝一夕に結果が出るようなものではなかったため、すぐに成果が求められるのであれば断ろうと、監督就任を要請してきた当時の球団社長に確かめてみたという。「一年目は畑を耕さなければならない。二年目は種をまいて育てます。花が咲くのは早くても三年後。それまで待ってくれますか?」
社長は笑って答えた。「失礼だが、あなたに監督をやってもらったからといって、うちのようなチームがすぐに優勝できるとは思っていない。計画性を持って、急がずにじっくり選手たちを教育し、育ててやってください。(中略)私が責任を持ちます。結果が出なければ、私も一緒に辞めます。」
リーダーが備えるべきもっとも大切な条件のひとつは、「責任はすべておれがとる」という度量である。リーダーの仕事とはひとことで言えば、ビジョンとミッションを掲げ、その実現に向けて人を動かすことだ。自分の意向と指示によって人を動かすかぎり、「結果の責任は、すべてリーダーがとる」という態度は、すべてのリーダーに必須であろう。リーダーは振るえる権限が大きいぶん、伴う責任も当然大きいのである。
リーダーは専門家を束ね、自ら掲げるビジョンとミッションを実現させる立場にあるのだから、部下を圧倒するだけの知識や理論を持っていなければならない。
野村氏は近年のプロ野球が体力と気力のみの大味で荒っぽい野球が主流になってしまい、“知将”と呼ばれる監督は最近では落合博満くらいだ、と嘆く。野球は一球ごとに状況が変わる。そこで繰り広げられるおたがいの知力を尽くした読み合いや駆け引きに、野球というスポーツの本質や奥深さや醍醐味、そして弱者でも強者に勝てるという意外性がある。ほんとうのプロフェッショナル集団を率いるリーダーに必要なのは、技術力やすでに持っている能力を超えて闘いを挑むための知恵なのだ。
近年では企業でも上司が部下をほめ、気分よく仕事をさせるやり方が主流になってきている。プロ野球でも二〇〇五年にボビー・バレンタイン率いる千葉ロッテマリーンズが日本一になったあたりから、そういう傾向が強くなった。いまの若者は叱られた経験が少なく、自分の価値観を否定されずに社会に出るため、自由にのびのびとやらせた方が力を発揮する、というわけだ。
だが、ロッテの強さは持続しなかった。
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