2006年、当時19歳だったジョコビッチは、クロアチアオープン決勝ラウンドでリードを奪っていた。しかし、スタジアムの声援はジョコビッチの耳には届かなかった。頭の中では不気味な音が響き、感じられるのは痛みだけだった。鼻はふさがれているように感じられ、胸は苦しく、足にはコンクリートを流し込まれたようだった。コートにジョコビッチは倒れ込み、大会は終わった。
6歳のときから、ジョコビッチはウィンブルドンで優勝するという目標のために人生を捧げ、家族もそのために途方もない犠牲を払ってきた。だが、大舞台に立つたびに倒れてしまう。この状態を「アレルギー」と呼ぶ人もいれば、「喘息」と呼ぶ人もいたし、「単なる調整不足」と切って捨てる人もいた。
ジョコビッチはさまざまな努力をした。毎日朝と午後に練習をし、ウェイトトレーニングをし、一日も欠かすことなくバイクをこぎ、走り込みをした。トレーナーやコーチを替え、呼吸をしやすいように鼻の手術も受けた。メンタル面の調整のために、ヨガやさまざまな薬もためした。そうした努力のために、シーズンごとに少しずつ結果がよくなり、ジョコビッチは世界ランキングトップ10に加わるようになった。が、それでもまだ、ジョコビッチは試合中の体の異変に苦しみ続け、「世界最高の選手」という夢には手が届かなかった。
ジョコビッチにとって、プロ生活で最低の瞬間は、2010年1月27日に訪れたという。全豪オープンで準々決勝まで進んでいたジョコビッチは、試合中またも突然、目に見えない力に襲われて呼吸困難となり、世界ランキングで自分より下位の選手に敗北した。
その瞬間を、1万4000キロ離れた場所から偶然見ていた人物がいる。ジョコビッチの祖国であるセルビア出身の栄養学者、イゴール・セトジェヴィッチ博士だ。ジョコビッチが倒れる姿を自宅のテレビで見ていた彼は、原因は喘息ではないとすぐに見抜いた。ジョコビッチの呼吸困難は、体内の消化システムの不均衡が原因で、腸内で毒物が発生していることにより引き起こされているというのが彼の推測だった。6カ月後に対面した博士は、ジョコビッチの肉体に合った、食事に関する指導要領を作ってくれると言った。
それから約1年、2011年7月までに、ジョコビッチはまったくの別人になっていた。5キロ軽くなった体は強靭で、それまでで一番の健康体となっていた。メンタル面でも安定してより楽観的になり、脳内の霧が消え去ったように集中力が増した。そして生涯の目標だった2つのゴールに到達した。ウィンブルドン優勝と、世界ランキング1位だ。
ジョコビッチを「そこそこいい選手」から「世界最高の選手」に生まれ変わらせたのは、新しいトレーニングプログラムでも、新しいコーチでも、新しいスタイルのサーブでもなかった。それは、新しい食事だった。
「このテストをすれば、君の体がどの食べ物に対して過敏になっているかがわかる」
セトジェヴィッチ博士はそう言って、ジョコビッチの左手を腹にあてさせ、右腕を横にまっすぐ伸ばすようにと指示した。博士はジョコビッチの右腕を下に押しながら、力に逆らうように命じた。それが君の体のあるべき反応だと博士は言い、次に、ジョコビッチに一切れのパンを左手に持ち、お腹に近づけるように言った。ジョコビッチが言われた通りにすると、先ほどとは明らかな違いが現れた。パンをお腹に近づけるだけで、ジョコビッチの腕の力が抜け、博士の下向きの力に抵抗できなくなっていたのだ。
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