権力とは、ほかの集団や個人の現在または将来の行動を命令したり、阻んだりする能力である。そのために状況の構造を変えるにせよ、あるいは受け手の意識や評価を変えるにせよ、権力を行使することによって、権力者は他人になにかをさせる――あるいはさせないことができる。
かつて権力は、「規模」と明確に紐づいていた。第二次産業革命を経て定着した資本主義社会においては、大規模な組織が勝利を収めた。それにより「大きなことはいいことだ」という認識が強化され、権力を長期にわたって行使するためには、中央集権的な体制が必要不可欠となった。ドイツの社会学者であるマックス・ウェーバーが説いた「官僚組織」も、権力を管理するための組織として有効に機能した。
2度の大戦によって「大きな組織」の支配力はより強まり、近年に至るまで、一部のエリート層による寡占的な支配の図式はごく一般的なものであった。しかし今日、「持つものはより多く持つ」という考え方は少々時代遅れになりつつある。権力が国家間の間でシフトしたり、小規模な新手のプレイヤー達の間に分散したりしていることは周知の事実である。
著者のこうした主張は、広く知られている主張に逆らうものである。権力はより集中し、序列は入れ替わっていないという側面もあるからだ。しかし問題なのは、権力が移行しているだけでなく、その過程で摩耗し、衰えつつあるということである。権力そのものを手に入れられても、それを長期間保持したり、行使したりすることが困難になっているのだ。事実、アメリカのCEOの平均在職期間は、2005年までに6年に縮小した。トップ交代が世界的に少ない日本でさえ、2008年には、強制的に辞任させられる代表の数が4倍に増えている。リーダーたちは、ひとたび過ちを犯せば簡単にその権力をはく奪されてしまうし、実現したいことがあっても、メディアの監視の目や、抵抗勢力によって束縛されることになる。
権力を長期にわたり行使できるのは、権力者が参入障壁によって守られているからである。しかし近年、この壁は急激にもろくなってしまった。革新的な新興企業や活動家など、かつては官僚制組織を弱体化させるにはいたらなかった「マイクロパワー」たちが、メガプレイヤーたちを脅かすようになってきているのだ。成功を収めるマイクロパワーたちは、メガプレイヤーにとって代わったわけではなく、従来とは異なる有利性や技術を武器に、メガプレイヤーを疲弊させ、邪魔をしている状態である。
マイクロパワーの台頭には、冷戦の終結やインターネットの誕生が大きく関係している。しかし、重要な要素はほかにもある。
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