教養は人生を楽しむためのものであり、戦後の日本人は、関心事が経済やビジネスに偏り過ぎ、「心の幅」が不足している。人生を楽しむ心があれば人間の幅が広がり、魅力が深まる。教養はそのためのツールなのだ。
教養には、ある程度の知識が必要だが、知識は道具であり手段にすぎない。知識があることで人生の楽しみが増え、興味の範囲を広げてくれる。興味の対象が多いほど、本当に好きなものや打ち込めるものが見つかる確度が高くなる。選択肢の幅が広がることは、決して悪いことではないだろう。
教養のもう一つの本質は「自分の頭で考える」ことである。科学史家の山本義隆氏は、勉強の目的について「物事を自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため」と語っている。
「自分の頭で考える」際には「腑に落ちる」ことが一つのバロメーターになる。最近はネットやテレビ番組の情報を知るだけで分かった気になっている人も多いので、注意が必要である。
誰かの話や情報ですぐに分かったと思うのではなく、自分の頭で考えて納得できることが大切なのだ。「腑に落ちる」まで考えているかどうか、慎重になった方がいい。世の中のたいていの物事には明確な「答え」がない。逆に、一見すっきりした「答え」は、重要なことがそぎ落とされていることがある。
様々な情報を集め、自分の頭で検証して納得することが「自分の頭で考える」ことである。「腑に落ちない」なら、妥協せずに探求を続けることが大切だ。そうして「腑に落ちた」なら納得できたということであり、次の行動において、人の本気を呼び起こすのだ。
意見を選択しなければならない時、「どちらとも言えない」と答えるのは、問題を真剣に考えず、勉強不足だからである。
3,400冊以上の要約が楽しめる