「別れは身を引き裂かれるようにつらく、その傷は完全に癒えることはない。私は、この短い間に出会ったダルフールの人々の記憶を、いつも胸にいだきつづけるだろう」。
これは、南アフリカ人の医師が、MSFの任務期間を終えようとする際、MSFのブログプラットフォームに載せた文章である。このブログは、任務にあたるスタッフが共通して味わう喜びや挫折感、悲しみだけでなく、MSFの文化の根幹にあるエートスの特徴や、連帯感をも伝えてくれる。スタッフの多くは医師と看護師であり、そのほかロジスティシャン(水道や汚物処理の専門家)、麻酔専門医、心理学者などもいる。
彼らが自分たちの体験と想いをブログに記録するのはなぜか。それはこの記録が、支援者の目を通した、現地の人々の肉声を伝える「証言」になり得るからだ。また、任務の遂行で肉体的・身体的に追い詰められたとき、ブログを書くことはブロガーにとって息抜きとなり、読者の反応は心の支えにもなっているという。
ブロガーであるスタッフたちは、任務の開始時と終了時に、人道的医療を行うために現地へ赴く理由と正面から向き合うことになる。それは、理想主義や愛他心、義憤、社会正義の追求、自己実現の追求など様々だ。同時に、彼らはMSFでの活動を通じて、その意義を実感する。中には次のように語るスタッフもいた。「死に瀕していた人間に適切な治療を施し、効果が現れるときほど、報われる瞬間はありません」。
一方、彼らは自分たちのことを英雄視したり、英雄視されたりすることを断固として拒否する。彼らは、病気や貧困、暴力などによって引き起こされる理不尽な死や苦悩を改善する能力が足りないことに、時に自責の念を覚えるという。そして、ケアの限界に対する悲しみをブログで吐露するのだ。
ジンバブエの診療所で任務にあたっていた医師は、死なずに済んだはずの26歳の女性があっけなく亡くなったのを目にし、その無念さを語った。「ほかの者よりも早死にする確率が、周りの者に早死にされる確率が、明らかに高い人たちがいるのだ。それは、耐えがたい不平等だ」。スタッフたちは、言いようのない痛みを経験しながら、状況改善のための最大限の努力さえも、望むような結果につながらないことを理解する。彼らが提供できるものは、どうしても「不完全」なのだ。
任務が終わるとき、彼らは患者とその家族、同僚、地元の人たちとの関係、勤務地のコミュニティー、文化、景色に思いを馳せる。彼らにとって、患者や仲間に別れを告げ、現地から引き上げることは、「喪失」そのものだ。とくに子どもの患者との別れには、最も深く胸をえぐられる。一方で、
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