著者は、ある兄弟間の相続争いの事件を担当した。一件落着した折には「これで依頼人は平穏な人生を送られるだろう」と安堵した。しかし数年後、同じ依頼人が、今度は母親の介護問題について争い、またあらわれたという。
なぜ、同じ人が似たような争いを繰り返してしまうのか。著者が言うには、何度争いを解決しても、「泥水で皿を洗う」のと同じようなことになってしまうからだという。泥水で皿を洗ってもきれいにならないのと同じく、汚れた心のままではトラブルは解消しない。
かつて著者は、法律を皆が守れば争いはなくなると思っていたというが、このように、解決しても解決しても、また争いが起こってしまうことがある。「法を犯してさえいなければ何をしてもよい」という考え方自体が、争いの原因となってしまっているのだ。そうした考えのもと、ひたすら自己の欲望のままに学力・権力・地位・名誉を求めることで、争いも生まれ、本人もとても幸せとはいえない状態になってしまう。
争いなく幸せに生きるためには、「法律的な罪」だけでなく、自分さえよければいいと考えたり、地位やお金を限りなく求めたり、という「道徳的な罪」を意識し、生き方や心を大切にせねばならないのではないか。
ウサギとカメが競争してカメが勝つという昔話がある。足の速いウサギが油断し、居眠りをしたことがカメに負ける原因だった、という解釈をする人がほとんどだろう。しかし本当の理由は、ウサギ
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