世間では、筋の通っていない非論理的な主張をされているにもかかわらず、それに従ってしまう人が後を絶たない。なぜなら、そのような主張の多くは、一見すると筋が通っているように見えるため、誤りに気づきにくいからだ。
ハーバード大学の社会心理学者エレン・ランガーが行った実験は、そのことを端的に示している。ランガーが、コピー機待ちの列に並ぶ学生に対し、割り込ませてくれるように、「コピーするページが5ページあるんです。先に使ってもいいですか。実はコピーをとらないといけないので」とお願いしたところ、実に93%の学生が先にコピーをとらせてくれたという。
だが、よくこの頼み方を見てほしい。一見理由づけをしているようで、「コピーをとらないといけないからコピーをとる」と、当たり前のことを言っているだけである。
このように、人は簡単に非論理的な言葉に騙されてしまうものだ。そうならないためには、論理力を身につける必要がある。論理的に考える習慣が身につけば、相手の主張が妥当かどうかを吟味し、毅然と対応できるようになるはずだ。そのためには、表面的な言葉に惑わされず、その言葉の本質がどこにあるのか、着目する視点を養っていくことが重要である。
大抵の場合、非論理的な主張を行っている相手に、「それは非論理的だ」と指摘したところで、そのことを認めようとはしない。なぜなら、人は自分自身を守るために、たとえ強引な論理展開であっても、自分の主張を正当化したがるものだからだ。
実際、罪を犯し、裁判にかけられている被告人と話していても、本当に自分の行為を反省し、自分が間違っていたと素直に罪を認める人は稀である。表面上は反省の言葉を語っていても、よくよく話を聞いてみれば、自分の行動を正当化している場合がほとんどだ。
さらに、「一貫性の原理」という心の働きも、正しい議論を行う際に邪魔になってくる。一貫性の原理とは、はじめにとった行動や、表明した意見を、最後まで支持し続ける傾向を意味する。いったん議論を始めてしまうと、自説と自分とが同化してしまい、自説の誤りを認めることが、あたかも人間としての誤りを認めることのように感じられる。こうなってしまうと、もはや議論は正しい結論に到達するためのプロセスではなくなり、単なる自尊心を守るためだけの戦いになってしまう。
人は、それが実際に正しいか正しくないかにかかわらず、どのような結論を主張するときも、論理的であろうとするものだ。だからこそ、相手の間違った論理に反論し、正しい結論を主張するためには、正しい論理力を身につけることが必要不可欠なのである。
論理学の基本的な考えに「3段論法」というものがある。3段論法とは、「AならばB、BならばC、ゆえにAならばC」と展開していく方法だ。例を挙げると、(A)義務教育が廃止されるならば(B)勉強は本人の自由意思に任される、(B)勉強が本人の自由意思に任されるならば(C)勉強が個人の趣味に沿った自主的なものになる、ゆえに(A)義務教育が廃止されるならば(C)勉強が個人の趣味に沿った自主的なものになる、といった具合である。
このような3段論法に対して反論したいときは、
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