類人猿と現在の私たち人類の本質的な違いとはなんだろう。直立二足歩行時の姿勢や道具を作りそれを器用に操ることだろうか。確かに道具の製作・使用のような行動パターンは、私たちと類人猿を分ける要素のひとつではある。しかし、これらの行動はあまり重要ではない。例えばカラスでさえ道具を作って使うが、彼らの脳はチンパンジーの数分の一に過ぎない。
著者は本質的な違いは「認知」にあり、私たちが「頭の中で」行えることにある、と定義する。この「認知」のおかげで人類は文学や芸術を生み出す高等文化を作り上げたのである。
人類特有の文化的な側面は2つある。それは宗教と物語であり、これら2つの側面は人類にしか見られないものである。そして宗教と物語の活動と実践には言語は欠かせないものであり、それを可能にする精巧な言語を持つのは人類だけである。
宗教と物語、どちらも日常生活の世界と異なる別世界の存在を想像しなければ成り立たない。こうした特殊な認知行動は進化の副産物ではなく、人類の進化において大きな役割を果たす能力である。こうした文化活動を支えるのは私たちのもつ、大きな脳であり、私たちと他の大型類人猿を分けるものは、脳であるといえる。
霊長類は社会的な生き物であり、長い期間にわたって安定した群れを形成する。霊長類が集団で暮らす主な理由は、捕食者に対する防御のためである。森を抜けて木々が少ない開けた土地で暮らすと、捕食者に捕らえられる危険が増すことになる。このリスクを軽減するために、いざというときに団結し、他者を助けられるようにする必要がある。そのために共同体の規模が大きくなり、社会関係を保つために相互のつながりが深まっていくのである。
しかしそこにはコストが発生する。共同体のすべてのメンバーに食べ物を行きわたらせなければならない。そのためには多くの食糧が必要になり、それを探すために多くの時間を割かなければならなくなる。また、メスに負担が発生する。集団生活から生じるストレスはメスの月経周期にかかわる内分泌に影響を与え、不妊にいたるのだ。メスはより小さな共同体で生活することを望み、共同体のサイズの増加に歯止めをかける要因となる。共同体を大きくするためには、こういったストレスを解消しなければならない。
サルや類人猿が共同体を維持するためのストレス解消法として、「毛づくろい」が重要な役割を果たすことがわかっている。「毛づくろい」をすると脳内でエンドルフィンが分泌される。エンドルフィンの放出は穏やかな脳内麻薬作用による高揚、軽度の鎮痛効果、快感として記憶される。このことは人類を含む類人猿において強い愛着を形成する過程に深く関係していると考えられる。
共同体の維持には「毛づくろい」が重要であり、共同体の規模が大きくなると「毛づくろい」に費やされる時間も増える。しかし、これは大きな共同体では多くの相手に「毛づくろい」をするわけではなく、むしろ共同体が大きくなるにしたがって「毛づくろい」をする相手の数は減る。これは共同体の規模が大きくなるにしたがってストレスが増し、より緊密な相手が必要になるからである。
社会脳仮説とは、簡単に言うと脳と社会の規模・複雑さが相関関係にあるというものである。つまり、脳の大きさから社会の規模が分かるというものである。
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